研究成果

魚の精子はどのように競争するのか? ~精子の寿命とタンパク質が進化のカギ~

     琉球大学熱帯生物圏研究センター瀬底研究施設の守田昌哉准教授、京都大学、大阪公立大学のグループによる研究成果が、進化生物学分野の学術雑誌「Evolution」に掲載されました。本研究では、アフリカ東部の古代湖タンガニイカ湖に生息するカワスズメ科魚類(シクリッド) Ophthalmotilapia ventralis を対象に、オスの繁殖競争の指標として着目した「精子競争」の程度に応じて精子形質や運動能力、さらに精液の拡散に関与するタンパク質の遺伝子発現が変化することを明らかにしました。これらの変化は、メスによる「精子選択行動」に対抗する戦術として機能し、雄の繁殖成功を高めている可能性があります。

    <発表のポイント>

    ◆どのような成果を出したのか
     繁殖行動の観察、精子の運動解析、そして精子タンパク質(SPP120)の遺伝子発現解析を統合することで、精子競争の強さが雄の精子寿命やタンパク質発現と関連することを明らかにしました。

    ◆ 新規性
     野外の行動観察と分子生物学的手法を組み合わせ、精子競争と精子の質の関係を実証的に示した世界初の成果です。従来は「オス同士の闘争」や「精子数の多寡」が注目されてきましたが、本研究は「精子の質と遺伝子発現」という新しい側面から精子競争の進化を明らかにしました。

    ◆ 社会的意義/将来の展望 
     体内受精と体外受精の両方に似た戦略を一種の魚で観察できる点は、哺乳類や鳥類など他の動物群にも通じる「繁殖戦略進化の共通原理」を探る手掛かりになります。

    <発表概要>
    【研究の背景】

     生物の繁殖成功は、配偶者の獲得だけでなく、精子競争や雌の選択といった複雑な要因によって決まります。特に魚類では、体外で卵と精子が出会う体外受精と雌が体内に雄の精子を受け入れる体内受精の違いにより、繁殖行動や精子の性質に大きな差が見られます。?
     アフリカ?タンガニイカ湖に生息するシクリッドの一種 Ophthalmotilapia ventralis は、湖底に「バウアー」と呼ばれる巣を作り、雌を誘う独特の繁殖様式を持ちます。O.ventralisのバウワーは、砂が集められたパッチ状になっており、オスが雌に精子を渡したり、メスが産卵したりする場所として機能します。雌は複数の雄のバウアーを訪れ、精子を口の中に取り込む「スパームショッピング」という行動を行います。その後、雌はバウアーで産卵し、産んだ卵を口に咥えて保護する「口内保育」を行います。卵はここではじめて口内に保持されている精子と出会い受精します。この際、雌の口内には複数の雄から集められた精液が混在し、精子の間では受精できるかどうかの激しい競争が起きると考えられます。さらに、バウアーを持つ縄張り雄の求愛に割り込むように、バウアーを持たない放浪雄(非縄張り雄)が精子を雌に渡す「スニーキング」行動も報告されており(図1A)、精子競争の複雑さをさらに高めています。
    図1

     精子が雌の口の中で卵との出会いを待つという状況では、他の雄の精子よりも長く生き残り、卵と受精できる能力が雄の繁殖成功を大きく左右します。精子の生き残りに関しては、これまでの研究で精液中に含まれる精しょうタンパク質 SPP120 が精液の粘性や保持に関与することを明らかにしました(図1B)。つまり、精子が雌の口内でどれだけ長く受精可能な状態を維持できるかにSPP120が重要な役割を果たすと予想されます。したがって、O. ventralis は雌の行動?精子形質?精液タンパク質の分子機構が複雑に絡み合う「精子競争の進化」を理解するための格好のモデル生物といえます。
     
     *精子競争(sperm competition)とは、複数のオスの精子が、同一のメスの限られた卵を受精する機会をめぐって競い合う現象を指す(Parker 1970)。このような状況では、オスは他のオスとの競争に勝つために、より多くの精子を産生したり、精子の運動能力や形態といった精子形質を進化的に変化させることが知られている。

    【研究の成果】

     本研究では、タンガニイカ湖に生息するシクリッド Ophthalmotilapia ventralis を対象に、本種の特異な繁殖生態と精子や精液タンパク質の関係を調べました。
    特に、
    1. 野外での潜水観察による行動記録
    2. 観察個体の精子運動性解析
    3. 観察個体の精液タンパク質(SPP120)の遺伝子発現解析
    を統合的に行いました。
    その結果、以下の点が明らかになりました

    a)? 雌の「スパームショッピング」行動と雄の縄張り条件が、精子形質に影響する
     雌は複数のオスの巣を訪れて精子を口に取り込みます(図1A)。このスパームショッピングによるメスの口内の精子競争の程度を推定するために、オスの求愛成功率 (図2A)や、メスが他のオスからもスパームショッピングをするリスクとしてバウアーの密度 (図2B)、スニーキングの起きるリスクとして放浪オスとの遭遇率 (図2C)を用いて精子競争の強さを示す指標としました。
     その結果、放浪オスとの遭遇率とバウアーの密度が高いほど、縄張りオスの精子寿命が長いこと、放浪オスとの遭遇率と求愛成功率が高いほどSPP120の遺伝子発現が発現量が高いことが明らかとなりました。そして、精子形成そのものに対するエネルギーの投資量の指標となる精巣の大きさも、バウアーの密度が高いほど大きいことが明らかとなりました。一方で、精子の遊泳速度はこれらのどの項目とも相関が見られませんでした(詳細は以下)。
    図2

    b)?? 精子寿命が繁殖成功の鍵となる?
     この種では、スパームショッピング行動は頻繁に見られる一方で、産卵はごくまれにしか起こりませんでした。したがって、受精の過程は多くのオスの精子が混在しているメスの口内で進行していると考えられます。メスが産卵するタイミングはオスにとって予測が難しいため、精子が長時間生存できることが受精の成功に重要になると推測されました。精子競争が激しいオス(放浪雄との遭遇率やバウアーの密度が高い)ほど、精子の寿命が長い傾向が見られました(図3A)。つまり、この種の精子では「泳ぐ速さ」よりも「長く生きること」が繁殖成功に強く関わっていることが示されました。
    図3A

    c) 精液タンパク質SPP120の発現と精?競争の関係 
     SPP120は精子の運動や拡散に関わるとされるタンパク質であり、その発現レベルはスニーキングのリスク指標(浮遊オスとの遭遇率)と求愛成功率と関連していました(図3B)。これは、精子競争の強さに応じて遺伝子レベルでの調節が行われている可能性を示すものです。
    図3B

     しかし、精子の運動性とSPP120の遺伝子発現は共通して放浪オスとの遭遇率に関連していたものの、求愛成功率とバウアーの密度との関係は異なっていました。多くの生物で精子競争の程度を示す指標と扱われている精巣の大きさはバウアーの密度と関係しましたが(図3C)、他の項目とは相関が見られませんでした。
    図3C

     これらの結果は、O. ventralis における繁殖成功が、行動(雌の選択や雄の競争)、精子形質(寿命?量)、分子レベルの調節(タンパク質発現)が複合的に作用することで決定されていることを示しています。特に、この種では体外受精と体内受精の特徴が組み合わさった独自の受精環境が存在し、それに適応した精子戦略が進化していることが浮き彫りになりました。

    【意義と展望】

     本研究は、野外観察と分子解析を統合して、シクリッド魚類の精子競争の適応戦略を実証的に明らかにした成果です。これにより、口内保育を行う種が進化させた独自の繁殖戦略が浮き彫りになり、体外受精と体内受精の両方の特徴を持つ環境における性選択研究に新しい視点を提供します。将来的には、他のシクリッド種や繁殖様式の異なる魚類との比較研究を進めることで、繁殖殖戦略の多様性と進化の一般原理が明らかになると期待されます。

    <論文情報>
    (1)??? 論文タイトル:Variation in sperm motility and seminal plasma protein expression is shaped by pre- and post-mating sexual selection in the mouthbrooding cichlid (Ophthalmotilapia ventralis)
    (2)??? 掲載誌: Evolution
    (3)??? 著者: Masaya Morita*, Shun Satoh, Takeshi Ito, Masanori Kohda, Satoshi Awata ?*責任著者
    (4)? ? DOI:10.1093/evolut/qpaf196
    (5)??? URL:https://doi.org/10.1093/evolut/qpaf196

    <用語解説>
    ?精子競争:複数のオスの精子が、同一のメスの限られた卵を受精する機会をめぐって競い合う現象を指す(Parker 1970)。
          このような状況では、オスは他のオスとの競争に勝つために、より多くの精子を産生したり、精子の運動能力や形態といった
          精子形質を進化的に変化させることが知られている。
    ?シクリッド: カワスズメ科に属する魚類で、多様な繁殖様式を持つ。
          ? 中でも、本研究で扱った種は、卵を一旦放出し、その卵を口に咥えて、孵化後も口内で保育する口内保育を示す。
    ??SPP120:精液中の液体部分は「精しょう(seminal plasma)」と呼ばれます。SPP120とは“Seminal Plasma Protein 120”の略で、
         ? ?日本語では「精しょうタンパク質120」といいます。SPP120は精しょう中に多く含まれる糖タンパク質の一種です。
         ? ?このタンパク質は糖鎖をもつことで精液の粘り(粘度)を高めるだけでなく、精子の運動を一時的に抑えて精子同士を凝集させる働きをします
    ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? (Morita et al., 2018)。この働きにより、精子は放精後に時間をかけて徐々に活性化していくと考えられています。