琉球大学研究基盤統括センターの青山洋昭特命講師、平良渉特命助教、同大学島嶼地域科学研究所の山極海嗣講師、同大学研究企画室の昆健志特命教授の共同研究チームによる研究成果が、国際学術雑誌「PLOS ONE」誌に掲載されました(11月16日付け)。 <発表のポイント> ◆新規性(何が新しいのか)と社会的意義/将来の展望
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<発表概要>? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
1.研究の背景と目的
首里城は2019年の火災で焼失し、新たな復元が進められています。その屋根には歴史的に様々な瓦が拭かれていました。琉球列島では13-14世紀以降に様々な地域から瓦造りが伝わったと考えられ、形態や文様といった外見的特徴の研究を基に、高麗系瓦、大和系瓦、明朝系瓦の3つに分類されています。これらの違いは時期や文化的関係を反映しているとされています。首里城跡ではこれら3種類が見つかっており、それらから瓦の歴史的な変遷や展開を知ることができます。一方で、瓦の製作技法と関連のある素材特性や内部構造といった特性の分析は難しく、外見の変遷に対して不明な点が多く残されていました。そこで、本研究では新たに瓦の色彩や素材成分の特徴、内部構造に注目し、非破壊的な理化学的解析を応用することで、瓦の製作技法や性質の歴史的な変遷?進化にアプローチしました。
なお、本研究は琉球大学の「首里城再興研究プロジェクト」の支援で実施しました。また、本研究で用いた瓦は、本学が1950年に首里城趾に創設され、その当時の首里キャンパス時代に採取された資料(琉球大学博物館「風樹館」所蔵)を活用しています。
2.研究の成果:わかったこと
「高麗系瓦」と「大和系瓦」の共通性:従来の研究では、13-14世紀以降に琉球列島で最初に現れた2種類の瓦、「高麗系瓦」と「大和系瓦」は外観も異なっており、「高麗系瓦」は朝鮮半島、「大和系瓦」は九州以北と文化的?技術的なつながりがあるとされる地域も異なっていました。しかし、首里城で使用されたこの2種の瓦では、色彩や材料利用?加工、焼成条件に高い共通性があることがわかりました。
「明朝系瓦」の特徴と色彩変化:16世紀以降に登場した「明朝系瓦」(中国起源とされる)は、上述の2種に比べて色彩と内部構造が異なっていました。さらに、現在の沖縄の伝統的な赤瓦の「赤色」の由来と言われる明朝系瓦の色彩は、「灰色」から「弁柄色」へ徐々に変化したことを数値的に示しました。また、その色彩変化と併せて焼成条件も変化した可能性が示唆されています。従来の研究ではこの時代に燃料不足などによる焼成方法の変化が生じたと考えられていましたが、今回の分析結果はその説を理化学的に裏付けました。
変化しなかったことも:今回の研究では琉球の歴史的な瓦においては総合的な材料利用?加工や内部構造が比較的一定であるというデータも得られました。これは細かく変遷していった瓦の文様などとは対照的で、琉球の瓦とそれを作る人々には時代によって「変化させる要素」と「変化させない要素」があったことを意味します。
物質的な文化の進化メカニズム:本研究の成果は、従来の考古学的成果を基にしつつ、理化学的な解析手法を新たに用いて琉球瓦の歴史的変遷に関する新たな知見を提供しました。また、瓦の変遷を基に物質的な文化の進化メカニズムを提示したことで、近年議論が進んでいる「文化進化」の考え方にも新たな視点を提示しています。なお、本研究で用いた手法はいずれも非破壊的であり、文化財等の貴重な資料へ適用可能であるため、今後様々な研究の発展への寄与が期待できます。
<詳しい解説>
1.首里城と琉球大学所蔵の首里城跡採取瓦
日本列島の南西部に位置する琉球列島は、九州や本州などの日本本土、台湾、中国といった周辺地域と比べ独自の歴史を歩んできました。中でも10-11世紀以降の「グスク時代」、そして15世紀以降に展開する「琉球王国時代」は、その独自性が華開いた時代と知られており、2000年に世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」にもこの時代の建造物が含まれます。首里城もまた琉球王国(AD1429-1879)の中心的な建造物として知られ、その復元(注1)は沖縄の人々や、この地を訪れる観光客に親しまれてきました。残念ながら2019年10月31日未明の火災により復元された首里城は焼失しましたが、「赤瓦」を用いたその景観は、多くの人に印象的な心象風景として残っています(図1)。
首里城の創建年代には未だに議論がありますが、琉球王国成立以前のグスク時代には存在していたと考えられています。その後、首里城は複数回の焼失等を経ても再建され、琉球王国の中心的な施設として存在し続けました。しかし1945年の沖縄戦において焼失し、戦後にはその跡地に琉球大学のキャンパス(首里キャンパス)(注2)が設置されました。そのため、当時のキャンパス内からは首里城で利用されていた多数の古瓦(歴史的な瓦)が採取されました。これらの瓦は現在も琉球大学博物館(風樹館)に収蔵されています。
図1. 消失前の首里城正殿
2.首里城の瓦にみる「古瓦の歴史」と「未解明だったこと」
古瓦の歴史:首里城は歴史上長きに渡って利用された施設で、2019年の火災を含めた複数回の焼失等があり、その再建のたびに瓦が使用されてきました(瓦葺きでない時代もありました)。ゆえに首里城の瓦は琉球の瓦の歴史の多くを反映していると言えます。これまでの考古学的な研究によって、琉球列島では13-14世紀以降(グスク時代)に焼き物で作られた瓦が登場したと考えられています。この時期に現れた瓦は「高麗系瓦」、「大和系瓦」と呼ばれており、形態や瓦当(注3)文様、表面の痕跡といった外見的な特徴で区別することができます。これまでの研究では、高麗系瓦は当時朝鮮半島に存在した高麗王朝に、大和系瓦は対照的に九州以北の日本本土にその由来があると考えられており、両者は由来や技術的な系統が異なる瓦として扱われてきました。また16-17世紀以降(琉球王国時代)になると、従来とは明らかに異なる外見を持つ瓦である「明朝系瓦」が登場します。この瓦は高麗系や大和系とは異なり中国王朝の明にその由来があるのではないかと考えられていますが、現在もその明確な起源地は解明されていません。ただ、この時期の瓦は、その形態や模様のバリエーションが増加し、現代の赤瓦に繋がる「赤色の瓦」が定着するなど、琉球の瓦にとって変化に富んだ時代であったことが知られています。首里城跡から見つかった瓦資料には、こうした琉球の瓦の歴史が反映されています。
未解明だったこと:以上のように研究の進んでいる琉球の瓦ですが、まだ未解明な部分も多く残されています。従来の研究では、瓦の素材や内部構造といった瓦の性質に関する分析は行われてきませんでした。こうした分析は瓦の製作技法や品質(特性?質)を理解する上で重要であり、瓦の歴史的な変化に伴う技術や質の継承や変遷に迫る材料となります。例えば、琉球の瓦は明朝系瓦の時期に釉薬を使わずに灰色から赤色に変化?定着したことが知られており、その要因として製作面での変化に関するいくつかの仮説が提示されていますが、それを決着づけるデータは得られていません。また、これらの「変化」が注目されてきた一方で、「変わらなかったこと」については不明な点も残されています。琉球の瓦は外見と同じように製作技法や品質(特性や質)まで大きく変わってきたのか、その答えを知るには瓦の品質に関する様々な情報を多角的に解析することが必要です。しかし文化財でもある瓦の破壊的な分析は難しく、またどのように解析を行うかも課題でした。
3.本研究の新しいアプローチ:多角的な理化学的分析による瓦の分析
そこで本研究では、2019年の復元首里城の火災消失を契機に始まった琉球大学の「首里城再興研究プロジェクト」の支援を受け、琉球大学博物館(風樹館)が所蔵する首里城跡採取の古瓦資料(高麗系?大和系?明朝系)(図2)を対象とし、デジタルイメージスキャンによる定量的な色彩解析、X線分析顕微鏡(XRF)を用いた瓦胎土(生地)の元素成分分析、X線CTスキャンによる内部構造解析を用いて、新たに瓦の色彩や素材?内部構造を定量的?統計的に分析しました。なお、本研究で用いた分析はいずれも非破壊的な解析であり、資料の破損?欠損はありません。また、分析の参考資料として、2019年に火災で焼失した復元首里城の瓦も分析対象に加えました(首里城破損瓦等利活用アイディア募集事業(沖縄県知事公室)より提供)。
図2. 解析した瓦の一例 瓦表面の模様や形の違いにより古瓦を分類した上で解析した。バーは3㎝
定量的な色彩解析(デジタルイメージスキャン)
デジタルイメージスキャナーで取得した瓦の画像データを解析し、古瓦の色の違い(色差)を定量的に調べました。その結果、従来は2つの色彩(灰色系と赤色系)で認識されていた歴史的な瓦において、瓦の類型や時代によって微妙な色彩の違いがあることが分かりました(図3)。例えば灰色系とされた高麗系?大和系の瓦と、明朝系の初期の瓦(注4)の間でも僅かに色彩が異なることが確認されました。灰色系の瓦は還元焼成(注5)の産物とされており、本研究の結果から高麗系?大和系の灰色瓦と明朝系の灰色瓦では還元焼成の際の条件が若干異なっていた可能性が示唆されます。
また、現代の赤瓦に繋がる赤色系の瓦が登場したとされる明朝系の後期の瓦の分析では、様々な日本の伝統的赤色と定量的に比較をしたところ、弁柄(ベンガラ)色にとても近い色彩であることが明らかになりました。さらに、この分析では時代が進むにつれて明朝系瓦の色彩は弁柄色に近づいていったことも示され、時代が進むにつれ瓦を赤くしている可能性も考えられます。
瓦胎土(生地)の元素成分分析(X線分析顕微鏡)
琉球大学の研究基盤センター(現?研究基盤統括センター)の協力のもと、蛍光X線を用いるX線顕微鏡(XRF)という機器を使って瓦に含まれる元素成分を非破壊的に分析し、統計的な解析手法によって瓦の胎土(生地)の類似性を調べました。その結果、首里城で採取された古瓦では、全体的な元素組成は類似していることが示されました(図4)。瓦は天然の粘土を原材料としますが、基本的に天然の素材をそのまま使うことは少なく、不純物の除去や混和剤などを添加する加工を施すことによって瓦に適した胎土を作り出します。分析結果は、グスク時代の高麗系?大和系瓦から琉球王国時代の明朝系瓦まで、比較的一貫した素材加工がなされてきた可能性が高いことを示しめしています。従来の研究では高麗系?大和系?明朝系の瓦はそれぞれ異なる文化的起源が示唆されていましたが、その技術の一部(瓦の素材加工)は歴史的に継承されてきた可能性も考えられます。また、全体的な胎土の特徴は類似しつつも、明朝系の瓦でのみ僅かに鉄(Fe2O3)とカリウム(K2O)の量に特徴があることも示されました。これは明朝系の瓦製作で何らかの変化が生じたことを示唆しています(後述)。
なお、復元首里城から採取された赤瓦については高麗系?大和系?明朝系の古瓦とは大きく異なる特徴が検出されました。ここからは戦後の首里城の復元に際して、瓦の製作技術に大きな変容があったことも読み取れます。
瓦の内部構造分析(X線CTスキャン)
沖縄県工業技術センターの協力のもと、産業用X線CTスキャンを用いて瓦の内部構造を調べました。その結果、首里城で採取された3種類の古瓦(高麗系?大和系?明朝系)は、復元首里城の現代瓦に比べると密度や細孔(瓦内部の細かな気泡や隙間等)において全体的には共通した特徴を持っていることが分かりました。これは、素材加工と同様に古瓦では一貫した性質や品質が保たれていたことを示します。また、一方で、品質も戦後の復元瓦では大きく変化したことも読み取れます。
なお、古瓦の内部構造においては高麗系?大和系の瓦に比べて、明朝系の瓦の細孔のサイズが大きくなることが認められました。これは大きな品質の変化をもたらすものではないかもしれませんが、焼成温度の上昇があった可能性を示しています。すなわち、この時期に瓦製作(特に焼成)に従来からの変化があったことが示されました。
4.明朝系瓦が灰色から弁柄色へ変わった要因は?
上述の個別の分析から得られたデータの関係性を総合的に解析しました。その結果、瓦の色が弁柄色へと近づくにつれて、瓦内部の細孔が大きくなることが明らかになりました(図5)。細孔は焼成温度が高くなると大きくなるので、色の変化と一緒に焼成温度も変化していったことを示しています。この他にも、弁柄色に近い色の瓦ほど硫黄(SO3)の量が多くなることもわかりました。これらのことから、琉球王国時代の明朝系の瓦において定着していった弁柄色は、瓦造りの技術の変化(焼成温度と硫黄含有量)によってもたらされたものだと考えられます。
これまでの考古学や歴史学の研究成果では、明朝系の瓦が赤色へと変化していく時期に、薪の原料となる木材の供給不足が生じていたのではないかとされ、燃料コストを削減するために酸化焼成(注6)へと瓦の焼成方法が変化したのではないかと考えられていました。今回の分析データは、瓦自体からも焼成方法に変化があったことを示すもので、従来の仮説を裏付けるものとなります。
図5. 明朝瓦の色彩と細孔サイズの関係
5.琉球における瓦?物質文化の進化メカニズムを読み解く
本研究では琉球の瓦についてのデータが得られただけではなく、そのデータから瓦が進化するメカニズムについても新たに提案しました。従来の研究では、琉球の瓦の進化は外見的な変遷によって捉えられてきました。しかし、本研究において示された新しい視点(色彩や素材、内部構造)から捉えなおすと、その進化には、「外見とは異なるタイミングで変化する要素」や、「時代を通して殆ど変化せず一貫している要素」があることが見えてきました(図6)。つまり、瓦などの物質文化(注7)は様々な要素(外見?色彩?素材?性質や品質)で構成されており、全ての要素が一斉に変化するのではなく、各々の要素が時にはバラバラに、時には連動して変化するメカニズムを持っていると考えられます。例えば時代的な社会流行等によって形態や文様が変化した場合でも、基本的な製作技術や品質が同じく変化するとは限りません。今回の分析では、明朝系の瓦で起きたような焼成条件と色彩の変化は、文様の変化のタイミングとは一致していないことが確かめられています。
近年、物質文化の研究分野では、物質文化の進化は外部から「ストレス(社会的なトレンドや、或いは技術?資材的な要因など)」がかかることで促されるとも説明されています。物質文化は常にそういった外部からのストレスに晒されており、それに対して物質文化(とそれを担う人)が反応することで変化(進化)が生じると考えられています。我々の解析は、こうしたストレスへの反応が物質文化全体で一斉に生じるのではなく、それを構成する要素(瓦で言えば形態?文様?色彩?素材?性質?品質など)が個別に(時には互いに連動しつつ)反応することがあるということを明らかにしました。例えば、瓦模様トレンドの変化というストレスがかかった場合、それに反応するのは文様などの装飾で、基本的な製作技術や品質は強く反応しません。反対に、燃料不足などのストレスがかかった場合には焼成技術などが反応して変化しますが、文様などは特に強く反応しないことになります。このような瓦の進化メカニズムは、従来の外見的要素に加えて瓦を構成する様々な情報を多角的に分析することで示されたものです。また瓦以外の様々な物質的文化がなぜ?どのように今に至ったかを理解する上でも一つの手掛かりになるものと思われます。
図6. 古瓦の進化メカニズム
6.文化財研究などへの応用が期待される「非破壊分析」
私たち研究グループは、「本研究で用いた分析方法は非破壊的であることから、保存を必要とする文化財や貴重な物質文化資料にも広く活用でき、様々な物質文化研究への応用による発展的な成果が期待できる」と考えており、この分野の研究の進展に貢献していきたいと考えています。
<用語解説>
注1:復元された首里城は世界遺産に登録されてはいない。世界遺産に登録されているのは復元首里城の地下に保存されている遺跡「首里城跡」の方である。
注2:現在の西原キャンパスへは沖縄県の本土復帰後の1977~1984年にかけて移転。
注3:軒先に用いる瓦。花や三つ巴などの模様が施される。
注4:明朝系は赤色の瓦が定着した時期の瓦として知られるが、その初期は多くが灰色の瓦であったことが分かっている。
注5:窯などの焼成施設を用いて酸素(空気)の供給が少ない状態で焼成すること。焼成物の還元反応などを引き起こす焼き方。
注6:常に酸素(空気)が十分に供給された状態で焼成すること。野焼きなど通常の焼成でも生じるが、窯などの焼成施設でも条件次第で生じる。焼成物の酸化反応などを引き起こす焼き方。
注7:人間が文化的行動を行った上で生み出された産物。その発展は技術、物資、風土と密接な関係を持つ。
<論文情報>
(1)??? 論文タイトル:「A new perspective on the evolution of “Kawara” roof tiles in Ryukyu: a multidisciplinary non-destructive analysis of roof tile transition at Shuri Castle, Ryukyu Islands, Japan.(琉球における「かわら」の進化に関する新たな視点: 首里城における瓦変遷の多角的非破壊分析)」
(2)??? 雑誌名:『PLOS ONE』
(3)??? 著者名:Hiroaki Aoyama, Kaishi Yamagiwa, Wataru Taira, Takeshi Kon.
(4)??? 日本語著者名(所属):青山洋昭(琉球大学 研究推進機構 研究基盤統括センター)、山極海嗣(琉球大学 研究推進機構 島嶼地域科学研究所)、平良 渉(琉球大学 研究推進機構 研究基盤統括センター)、昆 健志(琉球大学 研究推進機構 研究企画室)
(5)??? 10.1371/journal.pone.0277560
(6)??? https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0277560